沢田大神楽

沢田大神楽

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口伝によると、宝永年問(1704年~1711年)の旧正月に、源勝親なる老武将が、吉兵ェ館の政略の命を受けて当地へ来た折に、士気の鼓舞を図るということで、神楽を隠里寺、田植踊を常泉寺と二手に別けて踊らせた。
その田植踊の余興として舞われたのが大神楽の舞・狂言であったと言われている。
その事が功を奏してか、士気は大いに高揚され、めでたく吉兵ェ館を攻め落すことができたという。
源勝親は復讐を恐れてか、村上庄兵エと名を変えたというが、宝永7年(1710年)8月26日に死去した。
紫光上雪月村居士と号され、隠里寺に墓が残されている。
その後土地の柳田・元石・細田・石沢・大沢田・源右エ門(各屋号)の先考により舞い継がれ、明治39年(1906年)に差田家を庭元とし、南坂の志田守太郎氏を師匠として、間田・南坂・程坊・差田・古町・坂ノ下の人々によって受け継がれてきた。
途中、一時廃れていたが、昭和48年に現メンバーが復活させ、今では集落の子供会にも舞を教えている。
尚現在用いられている獅子頭は、明治32年(1899年)9月17日に鷹觜春松氏が、志和町の葛岡氏に依頼して新調完成したことが記録されている。


昭和50年3月25日
無形民俗文化財
民俗芸能
志和




















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by gts007 | 2017-01-30 11:28
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