斯波氏

しばし
斯波氏
室町幕府将軍足利氏の有力一門であり、かつ細川氏・畠山氏と交替で管領に任ぜられる有力守護大名であった。
越前・尾張・遠江などの守護を世襲し、また分家の大崎氏は奥州探題、最上氏は羽州探題を世襲した。

奥州斯波氏(おうしゅうしばし)は奥州・羽州に定着した斯波氏の庶流をいう。
高経の弟の斯波家兼の系統である大崎氏、最上氏、黒川氏、天童氏(元々は新田一門)、高経長男の系統という高水寺斯波家などがあり、特に大崎・最上両氏は奥羽両国の探題職を歴任した。
斯波氏は足利一門の筆頭の家柄を誇り、勢力も大きいことから嫡流たる武衛家も奥州に拠点を持った斯波氏の一門(大崎氏、最上氏、高水寺斯波家、天童氏など)らも当初は大いに栄えた。

高水寺城(現在の岩手県紫波郡紫波町高水寺)を拠点に栄えた斯波氏(奥州斯波御所家)の一族は1335年鎌倉で敗死した斯波家長の直系子孫だという。
『続群書類従』には簡易な系図が挙げられているものの裏付となる資料も乏しく、系図は必ずしもはっきりしていない。
南北朝時代に高水寺城に拠った斯波一族は、延文年間(1356~60)大巻舘に在った南朝側河村氏を次第に圧迫し、応永3年(1396年)河村秀基はその傘下に下ったという。
かくして斯波郡一帯を傘下に収めた斯波氏は足利氏の血を引く貴種であることから「斯波御所」「奥の斯波殿」と尊称され、書札礼でも大崎氏と同格であった。
永享7年(1435年)に発生した和賀の大乱では大崎氏の職務代行者として北奥の諸氏を指揮している。


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by gts007 | 2017-03-17 15:28
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